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 第46回掲載 バンドインプレッション (wildさんより)
”僕たちを縛り付けて、一人ぼっちにさせようとした 全ての大人に感謝します
 1985年 日本代表ザ・ブルー・ハーツ”

 僕は基本的に洋・邦楽問わずに何でも聞いた(つもりだ)。ユーロビート・ヒップホップは例外として・・・。誰にだって”MEET THE ○○”とかで最初に音楽に興味を抱くようになった、或いはハマったモノってあるだろう?僕の場合はそれがTHE BLUE HEARTSだったわけだ。

 今までいくつかインプレッションを書いてきたけどブル−ハーツは書こう書こうと思ってはいたが自分の単なる青春メモリー日記になるのが怖くて書けなかったけど、こないだJUST A BEAT SHOWで見たGOING STEADYってバンドを見ていて書きたくなったのとネタに尽き始めて来たので暇つぶしにでも読んで下さい(笑)。

 はじめて彼らの音に接したのは日曜の夜9時に今は亡き淀川さんが務めてた日曜ゴールデン洋画劇場で決まって流れたレナウンのCMだった。「”♪気ぃがぁぁ狂いそう〜・・・”」それを見てウチの家族を含め「何?この狂ったCMは?歌は?」・・・・第一印象なんてそんなモンです。しかし自分が音楽というモノに興味を持ったのは紛れもないこのブルー・ハーツだった。「あんな風になりてぇ・・・」と言ってGtのマーシーに憧れ親のスカーフをバンダナにしてギターを弾くようになった。本屋でそれまで見向きのしなかった音楽雑誌コーナーでむさぼるように立ち読みし始め、学校の授業でノートを埋めたのはいらない教養じゃなくロックの、ブルーハーツの歌詞だった。親を泣かした時に「チェインギャング」を聞いてホンキで号泣したのなんて初めてだった。ヒロトとマーシーが読んだというビートニック文学の本(「マンハッタン少年日記」「路上」)を足を棒のようにして本屋を駆けずり回ったり。テスト中わからない問題を前にして「♪諦めるなんて〜、死ぬまでないから〜・・・」って小声で歌ったりとオレの人生を180度回転させたぐらいにハマった。しかし当時、家にCDプレーヤーなんてモノは無く友達に友&愛(そういうレンタルレコード屋がチェーン店であったんです)で借りに行ってダビングして貰ったテープはホントに擦り切れるぐらいに聞いた(初めて連れて行かれたカラオケ屋で無理矢理歌った「Train-Train」で思いっきり飛び跳ねて店員さんに注意された思い出もあります)。まぁ、そんなワケであまりにも突然に砕けていく僕の中学時代は回りがいくら「バクチク現象」だ「コンプレックスの吉川・・・」「ユニコーン、渡辺美里」と言おうが僕だけはブルーハーツ三昧で終わった(でも、ミュートマJAPANは毎日見続けた、これが実は大きかったりする)。

 そして、その時、テープで何百回聴いたか分からない1st「THE BLUE HEARTS」、2nd「YONUG&PRETTY」3rd「TRAIN−TRAIN」はもう説明不要でしょう。PUNKだ、ROCKだ、ブルースだなんて解説も要らないぐらいのメガトン級のパワーがこの3枚にはある。1stはトリッガーのように矢つぎはやに曲が流れるが(1stなんて3分半越える曲がたった2〜3曲だけ)歌詞がザクザク胸に突き刺さってくる。もし、これを聞いて何も感じないようならROCKなんて聞かない方がマジにいい(笑)。2ndは1stからたった半年で作り、プロデューサーに今では売れっ子の佐久間さんを(ex.プラスティックス)起用して意外な気がしたが、後で「ブルーハーツ1000の証拠」という本に10年後も続けられるモノとして起用したようだった。技術的にさほどの変化がそうあるわけでもなく(あくまで”技術云々よりどれだけ音楽に対して純粋になれるか”を掲げてた)ここでもライブ的感覚で1発撮りに近い仕上がりとなってる。歌詞はこれまた素手で思いっきり殴られた程の衝撃はある。3rdはメンバー4人が自分達のルーツに戻ったような曲が揃ってるなぁと思う。一番、最初に聞いたアルバムがこれなんだけど「青空」は泣けた。「Train-Train」は斉藤由貴出演のドラマ「はいすくーる落書き」のテーマ曲で使われました。っていうかこの曲で一躍お茶の間に出てきたって感じっすかね。でも1st、2ndとはまた違ってほのぼのとした曲とかあって妙に嬉しくなったりもします。よく落ち込んだ時やイライラしてる時にブルーハーツを聞いて元気が出たというコメントを聞くが正にその通りだった。このままじゃイカン!と思って何か勇気ずけてくれたりもしたし、何か落ち込んでたり悩んでたりした時には”そんなの大した事じゃねぇや”と救ってくれたりした。「ブルーハーツは僕の代弁者だった」なんてアナクロな事は言わないが等身大なそのストレートな歌詞は当時、10代だった僕はそこに自分と同じ気持ちを見いだしていたかもしれない。よく「ラモーンズのパクリじゃん」って言うヤツも居るがとんでもない!ラモーンズも確かにシンプル・イズ・ベスト!って事でレコーデイングは一発録り、パワーコード命というスタイルが好きだったがラモーンズはラモーンズで魅力はあるけどブルーハーツはブルーハーツで僕には全部がカッコ良かった。商業音楽をあざ笑うかのようにテレビ番組で回りの出演者はみんなスーツ姿だったのにヒロトはジャージ(今ではSPEEDが流行らしたが当時はオッサンの象徴でありダサいという印象しかない)に雪駄というイデタチでマーシーは革ジャンが破れてるという初めてみたらコジキとしか写らない恰好で出演し、見てる僕は笑いながら「カッコエエ!」と手を叩いた記憶がある。そしてブーハーツはどんな時でもマジだった、妥協とか手を抜いてライブなんかしなかった。自分が初めてブルーハーツのライブに行ったのは横浜アリーナの4th「BUST WASTE HIP」を出した前後あたりのツアーの時かな、とにかく飛び跳ねてた記憶しかない(笑)そして座席指定のライブだったにも関わらず次の日は足が筋肉痛になった。でも終わった後はめっちゃ爽快な顔になってた。そして「人にやさしく」の時にはお約束のアドバルーンに触れたくてとんでたなぁ。アンコール「ナビゲーター」ではアルバムどうりラストは吹奏楽部(どこの学校の吹奏楽部か知らないけど)が後方で演奏してメンバーがステージから去るというシュチュエーションでした。ライブが終わった後、会場を出て夜空を見たら別格だった。星が見えない空だけど何か今でも憶えてる。ブルー・ハーツのライブがどんなものだったか詳しく知りたい方はビデオで見て下さい、「ブルーハーツが聞こえない」はまだ探せば店にあると思います。なお初期の方の日比谷野音でのライブビデオはテンションの高い名作!当時、同じ会場で痛ましい事故(同じTOUGH PAGEのLAUGHIN NOSEのディスクインプレを読んで下さい)があり厳重な警備の中、ヒロトは「どうやら!・・どうやら・・・この鉄のオリは”人の心”までも縛れんようじゃなー!!!ザマーミロ!」ビデオを見た時にはまだ事故の事も知らず、意味不明で後から知った時にもう1度見たらすごい感動だった。このMCはザ・ブルー・ハーツというバンドをスゴイ物語ったてる様な気がしてならない・・・

 さて、もう少し4thアルバムについて話すそうと思うが前作でヒットを放ちその中はバンド・ブームと突入していく。2万枚売れば良しとされていた時代は終わった、TVのタイアップ曲にはそれまで見向きもされなかったアーティストが使われ、そのシングルがチャートを独占したりTVでは「イカ天」が流行りデビュー1年ぐらいで武道館に立つバンドとかも出てきた。別段、それがどーしたってワケでもないがタケノコみたいに良くも悪くもバンドが出てくると自分の感覚が少し狂ってきはじめた。この時期にアルバムを出せばいやが上にも売れた筈なのにブルーハーツは1枚も出さずに自分が行ったライブも含めツアーに明け暮れていた。そしてシングルカットされた「情熱の薔薇」は前回同様「はいすくーる落書き2」のドラマ主題歌にまた起用されヒットした。河ちゃんの「真夜中のテレフォン」も河ちゃんの人間味がにじみ出ていい、その他にも「イメージ」等いい曲はある・・・・っが、悲しい事に自分はこのアルバムはもちろん好きではあるが今までに比べ物足りない感じが否めない。垢が付いてきたのか繁雑する音楽が弊害を起こしたかはわからないが、もうこの時期になると自分はPUNKにどっぷりとハマりまくってた。言い方を変えればブルーハーツは”どうでもよくなってきはじめていた”・・・・(マーシーソロアルバムはそれでも追ってはいたが)。さらにそれを決定付けたのが5th「HIGH-KICKS」でシングルカットされた「あの娘にタッチ」という曲をビデオクリップで見てからだ、もうそこには”ナイフを持って立っていた少年”も”ギター弾きのロクデナシ”も”ホリー・バーバリアン”も居なかった。漫画「迷走王 ボーダー」の中のセリフで「”ブルーハーツ”は”定体”など問われもしなくなって久しい”クソッたれた《イメージ社会》がついに飽和点に達したことを告げる者達だぞ!」と言わしめた僕の中のブルー・ハーツは見い出せ無かった。それでもCDを発売日に買ったのは初期の幻の名曲「TOO MUCH PAIN」が収録されていたから(実はこの曲は当時、レコード屋でプロモ用に無料でレンタル出来たビデオがあって、1.2パンチツアーの豊島公会堂のライブ映像が10分入ってた)。他にも「皆殺しのメロディー」等いい楽曲はあったのとNHKでの特番(題名及び番組のタイトルは忘れた)を見たらライブにまた行きたくなったので2回目は横浜県民ホールでの体験だった。ライブ自体は以前と変わらず楽しいモノだった。梶くんがスティールドラムを叩いたりする場面もあったりと雰囲気的に変わっていなかったのが嬉しかった。

 その後にはもう熱烈なファンとは言い難くなっていた・・・”静”と”動”のアルバム「STICK OUT」「DOG OUT」、マジめに聞き込めばのめり込んだ筈であったと思わせる曲もある。っが、友達に借りてテープで聞いたぐらいで昔みたいに1枚通して熱くなれなくなっていた、自分は変わっていた・・・・その時のツアーももう行こうという気にはなれずに季節は過ぎて行く。後からこのツアーを見ると音量はマックス、でもボーカルはちゃんと聞こえるように。そして照明は白だけ。めちゃくちゃシンプルな構成で昔のライブ・ジャンキーにように”商業音楽なんかでぇ嫌いっだー!!”と無言の叫びをあげていたかつてのようだった。そして突然の解散宣言。その解散の仕方が実に淡々として逆にブルーハーツらしかった・・・何の前触れもなく「今後の予定は?」「解散ですかね」・・・「え〜!ちょっと待って。ホントに解散しちゃうの?」「うん」・・・「いつ?」「・・・今日(笑)」「どうしてオレ等が言うと冗談に聞こえるんだろ?」詳しい解散の理由は今でも分からないが(梶くんと河ちゃんの宗教上の理由だけはないと思う)、知った時はショックだった。しかも解散を知ったのはだいぶ経ってからという始末・・・ その後、The Beatlsの「ホワイト・アルバム」のようにメンバーそれぞれが曲を手がけたアルバム。自分の気持ちとしてラストの河ちゃんの「ありがとうさん」やヒロトの「歩く花」、マーシーの「バイバイ BABY」と最後、渋谷公会堂でフィルムコンサートを見たときに気持ちとしてもう終わったと何とか整理がついた。ブルーハーツが自分に不必要になったって事じゃない、逆に今でも心の奥で彼らの歌が鳴り響いている。特に最近、昔のアルバムを引っぱり出してよく聞いてる。”全然色あせてねぇーじゃん!”中学の時の思い出と共に・・・雨の下北に居そうなあの4人の顔が浮かんでくる。そして歌は相変わらずグサグサ刺さってくる。何十年経とうがずーっと新鮮に聞こえてしまう・・・・ブルーハーツはビートルズよりもすごいメンバーだった、少なくとも僕には。解散しちゃったのはとても残念だけど”花もあったけど、ゴミも増えた”というようにダラダラと続けて欲しくなかった、確かに。”世の中の不条理に負けそうな人への励ましとその不条理への憎しみ”を歌い続けてくれたブルーハーツの歌は死ぬまで僕の心から消えない、ロクデナシのオイラはパンクロックが好きだから(笑)。

”僕たちを縛り付けて一人ぼっちにさせようとした全ての大人達にツバを吐いた
日本代表 ブルーハーツに逢えた事を感謝します”

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