TOUGH HomePage
line
TOP line
PICK UP! line
邦楽
-Artist List
spaceTHE RYDERS line
洋楽
-Artist List line
インプレッション
-ディスク インプレ
-ライヴ インプレ
-バンド インプレ line
ライブハウス line
情報の投稿
The Street Beats
-公式ページ
by Tough Network.
space-BEATS HomePage
space-TOUGH HomePage

 第50回掲載 ライヴインプレッション(wildさんより)
THE RYDERS 2000年07月07日(金) 新宿LOFT
"MAD PUNKS HARD ATTCK!"

ちっくしょー・・・あいにくの大雨だな、傘持ってねぇよ。そんなせっかくのFuck'in七夕の日にワンマンは1年ぶりなんじゃねーかと思うライダースのライブに足を運ぶ。まぁ、自然に気持ちも尖ってますわ!会社からズタボロのジーンズに黒のリストバンドを付けて回りの同僚の視線をものともせず、とっと新宿に向かったワケです。6:30頃にゴミ溜めと欲望が剥き出しの歌舞伎町を通り、ロフトについてそのまま中に入る、案の定人はまばら。金曜で見に来る客ってどーしても24歳から上の人ばっかだもんなぁ。ビールを飲みながらDJ(今日は2人来てて一人が新宿のパンクレコード屋「TIGER HOLE」からISHIKAWAさん、 そして全然気づかなかったけどKEMURIのTSUDAさんです)が流すPUNK ROCKに耳を傾けながら開演を待つ(掛かった曲でわかったのがミッシェルの「リボルバージャンキー」だけという自分がチト情けなかったが)。1組目「NOT REBOUND」(FROM名古屋)、2組目「BULLSHIT」(東芝EMIからデビューらしいッス)を静かに見る。見ながら思ったんですが毒にも薬にもならないPUNK ROCKが流行ってる昨今、英語の歌を歌うノリだけのバンドばっかが注目を浴びて日本語のPUNK ROCKに今、飢えてる事に気付いた。っちゅーかホンマにこないだのJPRFでも気づいたけど短パンにタオルで健全なパンクってノリだけでその場はいいんだけど何も残らないんだよ!何でPUNKがイギリスであんなに熱をもったかって10代のツェッペリや10代のエルトン・ジョン(聞いた事ないけど)でROCKの怒り・危険な香りが無くなったからでしょ。奇抜なファッションはアンチのメッセージだったんだろ(ミッキーマウスのファックシーンのガーゼシャツ持ってる方、売って下さい)。事実、1組目のバンドが外人コンプレックス丸出しのオイラ(笑)には何歌ってるかさっぱりわからず”

*イスタのタケノコバンドじゃん”とは言わないが(汗)、2組目のBULLSHITが日本語でレゲエとPUNKのミクスチャーを取り入れたのを見た時、何かホっとしたもん。いや、BULLSHITいいかも・・・。

そんなこんなでさっきまでの閑散としたロフトのフロアが金髪の髪の毛立ってるヤツやモヒカンや昔、POGOってバンドに居たBのKENに似たヤツラや10人に1人の割合でJPRFのTシャツ来たヤツラでごった返して来た。この何が起こるかわからない危険な感じの空気が昔、怖かったけどさっきも書いた通り今、この空気がすっげー好きだ。いつものピストルズの「Friggin'In The Riggin' 」が大音量で流れ(「船柱でやってる事はセックスだけ」とみんなで合唱してるわけです)、もう肩車を組んで大合唱、異様な盛り上がり。更に登場するや「お前等、とべ!とべ!とべ!」と煽るGtのBELLY。もう気持ちは臨戦態勢突入。そしてバンドが音を合わせ、拳が突き上がる中。”さぁ、行こうぜー!クソガキ!”といつもの言葉で革ジャンにベレー帽のOHNO。「Let's Get Togher」を2分足らずで演奏する。それがいつも
のライブの始まりだ。待ってたかのようにダイブの嵐・・・・

 ギミックなしのストレートなサウンドで日本PUNKシーンを担った彼らの活動を思い出せる限り書くと元々はモデルというビート・バンドで東京ABCあたりで活動していた。その後、ルーレッツというバンド名で活動再開。1987年7月2日の渋谷ライブ・インからライダーズというバンド名で活動している。その時のメンバーはVo:J.OHNO、Gt津田(ラフィンのチャーミーのカムバックソロライブでバックで弾いていた)、B:KOHJIにDrは金川。1987年に「GET GOOD LOVE'IN」、シングルカットは「SO PASSION!」をキャプテンレーベルからリリース。この間にメジャーのTOY'S FACTORYから「THE RYDERS」(TFCC-88008)が発売されてる。
1989年にGtにスタークラブからLOU。DrにTHE ZETTからTUGIOをメンバーにしてデモ・テープ2本を経て「Lets' Get Togher」(TFCC-88005)をTOY'S FACTORY発表。このラインナップになってから快進撃が続く。1990年に便所でパーティをやってるイカれたジャケットが印象な「FROM JUNK STREET」(TFCC-8 8014))を発表。1991年から夏の恒例イベントとなるアナーキーツアーを敢行していく。1993年にGtのLOUが脱退。変わりにTHE POGOを解散したばかりのKASUGAがメンバーとなる。

※この頃だと思うが筆者がライダーズのロフトワンマンに足を運び、始めてダイブというのをやったのは。ちなみに10月の寒空でTシャツを搾り、着替えを持たなかった為に風邪を引いた・・・

3年に渡るアナーキーツアーをビデオで限定で発売。おまけで生写真が付いてきた。その年「ALL T HE WAY」をリリース。ジャケットイラストはJET BOYのオノチン。レコード会社もTOY'S FCTORYからコロンビアに移籍した。スコアブックより写真集も兼ねてバンドスコアを出版。

1994年のアナーキーツアーは全国9会場。全バンド14バンド(L.AからAGENT ORANGEも出演)。総観客動員数、約3000人にも登ったがあまりにも過激なライブの為、会場から出入り禁止、予定されていた学園祭への出演も中止となる等トラブルは続いた。

1995年にはLA録音による「反逆分子」(COCA-12819)をLPからもリリース。この前後、都内のレコードチェーン店のdisk unionと結託した(?)レーベル”BLACK HOLE”から「VICTOMS」「NEW RISE」「ZAS SO」をシングルカットした。発売記念ツアー’95は仙台、札幌、会津若松、広島、福岡、松山、大阪、名古屋、ラストは渋谷ON AIR WEST。

 そしてこの期間は殆ど音沙汰なし。新宿ロフトのイベントにラフィンと共演した以外に全く記憶に残ってない。

1998年かな?GtのKASUGAが抜け、LAUGH'IN NOSEからBELLYが加入。1999年の3月に新宿LOFT FINALに出演し、その変わらぬライブでビデオ「LOFT BOOTLEG1999」の中で一番印象に残った。

2000年4月23日。S☆CのHIKAGE主催による「JAPAN PUNK ROCK FES.」に出演。筆者はS・Eで鉄柵に登り最前で狂ってました。革ジャンで出てくるのかと思えば全員、ツナギ姿は意外だった。っとここまでの彼らの活動を書いて更にライブレポを続けます。「HORIZON」もハイスピードで飛ばした後、オペラ調の口調で”NOTHIN'FELS RIGHT〜・・・”とおどけて「NOTHIN'〜」をぶちかます。そうだよ、同じノリで壊れるにしても日本言で合唱してアドレナリンを放出してぇよ。「I WANNA BE OWE MY OWN」「精神錯乱」も血管ブチ切れて歌うOHNO”♪オレはオレになるために! Oi Oi Oi・・・”ベレーもコーラスで熱い!「YEAR〜!・・・yo!ごきげんようさまでございます〜、みなさん元気でありましたでしょうか〜?、私たちも元気でございます、本日もライブ気合い入れてやらさせていだだきます」「帰り、台風で帰れられへんぞ、お前(笑)」おどけてMC。しかし・・客は荒い。「え〜、じゃあ9/21にマキシシングル出す2曲やります、演っからよ!”BURST ROKKET!”」ライダース流のハードなPUNKロックな新曲だこと。「みんなが待ちに待った極楽野郎の登場だ。お前等もオレラもゴ・ク・ラ・ク・トンボ」フロアがダンスが波打ってますわ。女の子の客も楽しそうな顔で肩車からダイブ。う〜ん、いい感じだ。怒濤に3発カマした後、「どうだい、初めてのロフトは〜?」とOHNOが客に聞くと”楽しい〜””もっと飛ばせ!”と帰って来て「お前、今言ったヤツ飛べよな!コノヤロー・・・」と言うとベレーがフォローして「あの〜、警備員の方もこんな雨の中せっかく来ていただいたんでもっと飛ばして。自分の身は自分で守るさ!」そう、さっきから飛んでステージから帰ってくるヤツってあんま居なくて警備員に引っ張られるヤツの方が多いなぁ。パンクフェスの名古屋、大阪の告知をして”アルバムいつ出すんだよ!?”と客が聞くと「曲が無ぇんだよ・・・」「つらい事言うなぁ」「いらん事言うな」とまぁ、和やかっちゅー雰囲気(?)で何だかわかんない雰囲気で「ライブは10月8日サンデー、日曜日!・・・・ここ!いいか、間違えんなよ。ここだぞ、ここ!」とMCした。んで、次の「BRING OUT MYSELF」で始まった瞬間スッと鳥肌がった。あ、「BRING OUT MYSELF」で思い出した。誰かオレからビデオをダビって貰ったヤツでこれのPRV入ってるヤツ居ない?オレのマスターがカビ生えて見れないんですけど、ダブり返してください。曲が終わってここで小休憩。飛ばし過ぎで客も”遅いヤツ〜”というと「わっかりました」と答え「今日よ〜、**の****来てッか?」と言ってフロアから一人肩車で頭を出す、「ちょっとな〜、訃報と言うか・・・みんなの昔からの仲間で見に来てくれた***というやつが居てガタイが良くてブルーのモヒカンだったヤツ・・・バカなヤツでよ〜、こないだ自殺しちゃったんだけど。え〜、(お前等も)オレもイヤな事いっぱいあると思うし、女に何回も振られてばっかだし、仕事はいっつもクビになったし、ロクな事ねぇけど今日まで生き延びてきました。だから取りあえずそんな事もあってかなくてかわかんなけど来年にかけてもライブ色々決めたんで、まぁ、とにかく来いよ!。じゃ〜唐突だけどゆっくなのを1曲やろうか」あんまり悲痛な空気とは言えないが。客の誰かが叫んでたけどオレも「DEADLY BOY」かなっと思ったんだけど「IT'S MY TIME」 だった。

 乾いた心を満たすBEATに抱かれながら
 STREETをぶらつく 他に何もいらねぇ
 誰にも邪魔されずにこのままで居たいのさ
 狂気沙汰の街角でやっと手に入れた時さ
 風まかせに何処に行こう?背負わされるものは捨てちまえ!
 ちっぽけな時間だけど心は解き放たれる
 今が通り過ぎる前に自分を取り戻せ!

写真や今日のDJに礼言ってもうMCを何も言う事なくなって「俺達ぁ社会の雑草だぁ・・・We! Are! ZASSOU!」「いち!に!さん!し!」と飛ばす。「お宝の島に連れてってやるぜ、夢の島!」盛り上がりました!懐かしさも混じって最高だな(「EASY COME〜」の前セリフが聞き取れなくてすいません)。「この街から始めよう」そう言ってやった「FROM JUNK STREET」何か胸が詰まる思いで見てた。”・・・だから俺達は手前のBEATを信じる!”

アンコールほんの少し控え室に戻っただけですぐにベレーがそれぞれの3本のマイクで「演りたいから演る!」 と叫びずっこえけてた(笑)いいねぇ〜、お決まりのアンコールにバンドも客もなぁなぁになりがちな最近、素直でいいんじゃない。「やっぱオレらサイコーやろ〜?お前等もサイコーや!」「今日はタップリお見せしますぜ〜、久々にやろうか」とライブでたぶん初めてオレ聞くのか?っちゅーか、このへんのMCがめっちゃPUNKっぽくていい。スカっとするわ。「ANIMAL STREET」もスピーカーの上からダイブと狂乱した。最後はベレーもコージもステージからダイブ!「ばいばい!またなぁ」と言って先に去るOHNOステージに戻って「じゃーな」と去るのはKOHJI。「た・台風が来るぅ!」とおどけて去るのはBELLY(笑)フィーバーっす。
ベレーになってからアレンジが変わった曲もあるけどそれはそれでいいと思う。10代に感銘を受けたバンドで全然、衰えていなくてサイコーっなライブでしたよ(ある意味、後ろで見てたけど客を見てても面白いし)。帰りにバーの方に行ってTシャツ買おうかと思ったんですが今の”RDS”のロゴのものしかなく昔の赤字にTHE RYDERSと抜きとりしてあるTシャツの方が良かったなぁ・・・。写真は最近のOFFの写真ばっかだね。帰りは雨が激しい。ほんとに台風だ・・・・帰りの電車の中ウォークマンで「DEADLY BOY」を聞きながらさっきのMCを思い出し、”どれだけ生きてたっていつも後悔ばかり、胸くその悪さはギネスモノさ、けっ飛ばせ!””だから俺達は手前のビートを信じる!”と口ずさんでいた・・・・

 SETLIST

 LET'S GET TOGERTR
 HORIZON
 NOTHIN' FEELS RIGHT
 I WANNA BE OWE MY OWN
 精神錯乱
 BURST ROKKET
 PISSなんとか・・・(汗)
 極楽トンボ
 拝啓 偽善者殿
 NEW RISE
 BRING OUT MYSELF
 (?ジョニーサンダースっぷりの曲)
 MINDRESS GENERATION(だと思う)
 38 BOY
 IT'S MY TIME
 雑草
 KICK THE PAST
 夢の島
 EASY COME. EASY GO
 FROM JUNK STREET

 −アンコール−<br>

 I'VE GOT THE ENERGY
 ANIMAL STREET

barnner barnner barnner barnner
line
(c) Copyright 1994-2011 Tough Network. All rights reserved.