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「25年目のおっぱい」

※このアルバムは再発された時のライナー・ノーツを載せたものに過ぎません。実際、持ってるんですが、まだ語れるほど聴きこんでいないので『終り、はじまる』のおまけとして読んでいただければ幸いです。

  A-side 光のない時代だけど。
  @みなもと
  A祝婚歌
  Bいまはこんなに元気でも
  C夜はおちていく
  Dトカゲ
  B-side うまれてくるひとのため
  E25年目のおっぱい
  Fともこのまぶたにとさんがとまった
  G水と光
  H27年目のおっぱい
  Iまがり

今回発売される「ジャパニーズ・ロック・CD・リコレクション・70’s」の中で、1枚だけ再発して欲しくなかったレコードがある。
 それは、この中川五郎『25年目のおっぱい』なのだ。
出来ることなら、こっそり収まったまま、自分だけの物にしておきたかった。僕にとってこのアルバムは、それほど想い入れの深いレコードと云える。

 中川五郎、1949年大阪出身、高校在学中からギターを手にし唄を作りだす。ボブ・ディランの「ノース・カントリー・ブルース」のメロディを借りて「受験生ブルース」を作る。この曲は深夜放送で聴いたのは。ちょうどボク自身が受験生だった高校三年の時。受験地獄をシニカルに唄った内容よりも、歌詞を作ったのが現役の高校生だったと云う事の法に深く興味を覚えた。
  大ヒットした高石友也の「受験生ブルース」は、中川五郎の詩を元に新しく曲を付けなおして録音された物だった。TV「スター千一夜」に、原作者として高石と共に出演したオリジナル・バージョンを披露したりもした。僕が中川五郎を見たのはこの時が初めてだった。
  1969年URCから、六文銭とのカップリングLP『中川五郎/六文銭』(URL-1002)でレコード・デビュー。同じ年の秋、ソロ・アルバム『終り、はじまる』(URL-1010)を発表する。このアルバムに収められた「殺し屋のブルース」には第二期ジャックスがバックを務めてる。
 当時は岡林信康ら等と共に関西フォークの若手歌手として、メッセージ色の強い唄に目が集まっていたが、エリック・アンダーソンの唄を訳した「かえるとき(Time For Returning)」や「恋人よベッドのそばにおいで(Come To My Bedside)」の様に愛をテーマにした曲も取り上げていた。
  1970年歌手廃業を宣言し、アート出版「フォーク・レポート」の編集を手掛ける。その「冬の号」が”わいせつ容疑で押収”と云う事件が起こる。そして「ふたりのラブ・ジュース」を書いた中川五郎が、わいせつ文書販売同所持事件の被告人となる。この過程は、中川五郎が1982年に出した「裁判長殿、愛って何?」(晶文社刊)に詳しく書かれている。7年間続いた裁判で、音楽の世界以外での友人を沢山得る事になる。
  今、僕の手元にあるヤニ色に汚れてしまった、「フォーク・レポート/冬の号」も18年前はエラい本を手にしてしまったと思い、引出しの奥にしまい込みこっそりと読んでいたものだ。そいうえば、あがた森魚の自主制作盤の存在を知ったのもこの号だった。
  さて、束の間の廃業宣言後、中川五郎は再び歌い始めた。ヴァギナ・ファック、田舎五郎と魚、たらちねしょんしょんバンドを率いて積極的に活動する。同時にレコードのライナー・詩訳等の音楽に関する執筆の仕事も多数手掛けるようになる。。
 ファースト・アルバムから8年間のブランクを於て製作されたのが、このアルバム「25年目のおっぱい」だ。
 煙草をくゆらせ目を閉じたノーマン・シーフばりのポートレイト、矢吹申彦のデザインによる印象的なジャケット。もし僕が<中川五郎>の名前を知らなかったとしてもきっと手にして買っていただろう、そう想わせる素敵なアルバム・カヴァーだ。
  バックを務めるのは、中川五郎の友人でもあるギタリストの中のギタリスト、名手・中川イサト。プロデュースも彼が担当している松田幸一、徳武弘文、村上律、島村英二はラスト・ショーの面々。ムーンライダーズの岡田徹がキーボードで参加。ストリング・アレンジメントは、昔中川イサトとバンドを組んでいた事もある瀬尾一三。
  そして、ピアノ・アコーディオン・ヴォーカルは中川・A・ともこ。彼女は実生活でも中川五郎の共同生活者で、ある意味ではこのアルバムの主人公といえる。
A面は「光のない時代だけど」と題されている。
  透明感のあるピアノのイントロから始まる「みなもと」は、詩人・谷川俊太郎の作品。谷川俊太郎は、片桐ユズル、有馬敲、と共に昔からフォークに関心を寄せていた一人だ。言葉の重さに負ける事なく、むしろ唄う事によって言葉の力強さを増している。
 二曲目も、現代詩人・川崎洋の作品「祝婚歌」。この歌は以前「春一番」コンサートでも唄っていた。A面のサブ・タイトル「光のない時代だけど」は、この時の一節から引用している。
 「いまはこんなに元気でも」も古くから唄い続けている曲。アコースティック・ギター、ウッドベースといた古典的なフォークのフォーマットながら、古くささは何処にも無い。むしろ新鮮な響きを聴かせてくれる。
 徳武弘文の乾いたギターで始まる「夜おちて行く」は、このアルバムの中で唯一のロックンロール・ナンバー。酔っぱらって帰った朝の空しさをテーマにしている。
  ミディアム・テンポのワルツにのせて唄う「トカゲ」。都月次郎の詩は複雑な少年時代の気持ちを実によく表している。僕がこのアルバムの中で一番好きな曲でもある。
  B面の「うまれてくるひとのため」サイドは、全て中川五郎の作詩作曲となる。
  タイトル曲「25年目のおっぱい」は、中川五郎のおっぱいを巡る個人史の様な歌。自著「裁判長殿、愛って何?」の中でも書いていたが、<おっぱいから広がるあったかくて素晴らしいこと>を唄った歌だ。
 不思議な美しさを持った「ともこのまぶたにとさんがとまった」。この歌は言い様の無い程やさしさに満ち溢れている。だがけっしてそれだけの歌ではない。
  新しい生命に歌いかけた「水と光」。実際にこの歌を作ったあと、中川五郎はコドモとの生活を開始する事になる。
 「27年目のおっぱい」は”不在なるおっぱい”の歌だ。25年目からの2年間の時の流れと、家庭の中のおっぱいについて唄った歌かもしれない。
 最後の「まがり」は、死んでしまった愛猫に対する気持ちを唄にしている。対象は色々と違うが、ここに収められているのは<愛>の歌ばかり。レトリックの無い、リアルで赤裸々な言葉の詰まった、本当の意味での<ラブ・ソング>ばかりだ。

 このレコードが出たのは、僕が生活のパートナーを得た時期と重なっている。居間で、台所で、車の中で何度となく中川五郎の歌を聴いた。1976年はこのアルバムと暮らしていたと言ってもいい程だ。気に入った本、例えばジョン・アービィングの小説の様に、その度毎に新たな想いをさせてくれた。
 このアルバムが良いアルバムかどうか、正直に言ってよく判らない。しかし永遠に気になるアルバムだと云う事は変わらないだろう。。
                                                小川真一


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